東日本大震災支援活動①はまセン設置以前

川上哲也

2011年10月10日 10:00



東日本大震災被災地では多くの命やものが津波に飲み込まれた。




震災当日(3月11日)の夜、高山市を出発して福島県南相馬市に到着。炊き出しや災害ボラセン設置など支援活動を始めたが、原発事故により退避した。
南相馬市への支援活動は困難だとの判断から、高山へ戻った翌日、集められた物資を積んで宮城県南三陸町へ向かった。




南三陸町長から「重機を動かす軽油が足らない」との要請があったため、軽油3,000リットルと灯油2,000リットルを南三陸町に届け、灯油は町内の避難所で配布。




支援が届いていない地域を調査したところ、南三陸町北部の歌津地域と気仙沼市最南端部の浜区が道路寸断等により支援が届きにくい状態にあるとわかったため、活動拠点を浜区避難所に移動。
支援活動への協力募集に対し、医師、歯科医師、薬剤師などが協力してくださり、避難所をまわって健康状態をチェックしてもらった。





支援の輪は広がり、炊き出し、理容美容など、多くのボランティアが避難所をまわって支援活動を実施。




浜区避難所で最初に求められた一つが「お風呂」だった。
水は、使われていない井戸からポンプでくみあげ、高山市から持ち込んだ灯油給湯器を使って加熱。
浴槽は、魚河岸などで使われていた1,000リットルのタンクを使用。
3月23日に入浴可能となり、その後、気仙沼で2ヶ所、南三陸町で2ヶ所のお風呂をつくった。

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